イヤイヤ期を迎えた我が子にイライラしない為の考え方

日常

イヤイヤ期を迎えた我が子にイライラしない為の考え方


私なりの考え方になりますが、少しでも参考になれば幸いです。

常に懐の深い親でいようと心掛けているつもりですが、

何を言っても「イヤ。」

突然始まる「イヤッ!」

にはどうしてもイライラしてしまうことが少なからずあります。

いつかは来ると知っていたイヤイヤ期。

覚悟はしていましたが、実際やってくると結構気が滅入ってしまいます。

妻ともどうしていこうかと話し合いも何度もしました。

そんな中、話し合ううちに気付く事がありました。

それは、私たちがイライラしている原因です。



目次

親が感じるイライラは誰のせい?

まず、私たち人間というのは普段の生活の中で

物事を見る時に、自分の価値観(常識)を通して見ています。

我々は、自分の常識=世間一般の常識と思い込んでしまっている事が

少なからずあると思います。

しかし、自分の常識≠世間一般の常識である事も十分に有ります。

つまり何が言いたいかと言うと

我が子に対して、私たち自身が『私たちが望む姿の我が子』という価値観を通して

子供の姿を見てしまっていたという事に気づきました。

それは、私たちの勝手な期待であり、勝手に期待して、(そんな事を知るはずもない子供が)期待を裏切る姿に勝手にイライラしてしまっていただけなのです。

例えば、昼寝をして欲しくて寝かしつけているのに全く寝てくれない息子に対して、

寝かしつけたらやりたい事があるのに等と、イライラしてしまうのは、

息子を『息子』として見ず、『こうあって欲しい息子』として見てしまっている

という事ではないでしょうか。

その期待にそぐわない姿を見た時、私たちはイライラしていたのです。

私たちがすべきことは、その価値観のメガネを外し、我が子を我が子として見てあげる事ではないかという結論に至りました。

視野が広がる

私たちの価値観を通して見ている時は、

期待した姿でない時には、『それが出来ない我が子』としてしか目に映りません。

なぜそんな事も出来ないのか。何度言ったら分かるのか。

などという気持ちに支配されてしまいます。

終いには他の子と比べてしまい他の子は出来ているのにと嘆いてしまうかもしれません。

しかし、メガネを外して見た時はどうでしょうか。

『我が子』として見ているので、それが出来ない我が子と思って見ていた時とは違い、

『その子らしさ』として目に映るはずです。

今まで通り見て来た姿や、まだ上手に出来ない物事などに対しても、

その後に続く感情は今までとは決して同じではないはずです。

私自身、メガネを外して見ることで

この子は今何を思っているんだろう。

何に興味を惹かれているんだろう。

と考える様に変化していきました。

一人の人間として尊重する

物事の分別がまだ上手く出来ないのは確かで、

それを教えていくのが親の務めであり、

子供をコントロールすべき所はあると思います。

しかし、知らず知らずのうちに全てをコントロールしようとしまっている時が有ります。

そうならないように気を付けないといけないなあ。と改めて気付かされました。

これからも心掛けていきたいと思います。

 

子供自身の価値観を大切にするということは、一人の人間として尊重するということであり、

その子の自信にも繋がると思います。

最後に

私たち夫婦も未だ成長中であり、日々学ぶことだらけです。

教育とは、教育であり共育でもあると思っているので、これからも子供と共に成長していきたいです。

今回の考え方が少しでも参考になれば嬉しいです。

私たちも実践していきたいと思います。

閲覧ありがとうございました。

 



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